tokuchan-worldのブログ

外国ってこんなとこ〜

2021-01-01から1年間の記事一覧

第30話 現地人になりたい

左から 同行の後輩、シンガポールの社長のお嬢さん、わたくし ( 於 : シンガポール) [1988年7月 ホンコン(香港] 観光旅行と違って仕事で行くと現地の人と一緒に行動出来るので、路地裏のようなところへも行くことが出来る。食事もおもしろい。自分は、高級な…

第29話 ホンコン(香港)の路地裏

サムスイボウ(深水埗)の市場 ホンコン(香港) [1988年7月 ホンコン(香港)] この出張中、シンガポールでもホンコン(香港)でも道を歩いているとよく声をかけられた。「ニセモノ ノ トケイ イリマセンカ?」と日本語で。堂々と偽物と言っている。もちろん買う方…

第28話 停まらないバス

ホンコン(香港)の二階建てバス [1988年7月 ホンコン(香港)] 半日時間が取れたので、どこか一つくらいは後輩を観光へと思いタイガーバームガーデン (虎豹別墅)へと連れて行った。軟膏薬タイガーバームの売り上げで巨額の富を得た富豪“フー ウェンフー(胡文虎)…

第27話 日本航空とキャセイパシフィック

日本航空(JAL)とキャセイパシフィック [1988年7月 ホンコン(香港)] かなりの乱飛行であったが、無事にホンコン・カイッタク(香港啓徳)空港に着陸した。ホテルにチェックインした後 取引先へと向かう。女性社員に来訪の意を告げると 女性: 社長は日本へ行っ…

第26話 揺れるジャンボジェット

[1988年7月 シンガポールからホンコン(香港)へ] シンガポールでの予定を終えてホンコン(香港)へ移動。午前中に出発し、夕方にホンコン(香港)で1社訪問の予定。この会社の社長は我々がシンガポールにいる間は日本にいて、我々が訪問するのに合わせてホンコン…

第25話 冷気あふれるクーラー

マーライオン(左)とアンダーソン橋 シンガポール [1988年7月 シンガポール] しかし暑い! というか湿度が高い。大阪の夏は蒸し暑いというが比ではない。汗かきのくせに、ここでカレーを食べたものだからシャツはびしょ濡れ。一旦ホテルに戻って着替えること…

第24話 インド人街での昼食

シンガポールのバス通り [1988年7月 シンガポール] 昼飯の時間。観光客などが行くような店には入りたくない。現地の人が行く庶民的な安そうなところを探す。シンガポールは、マレー系、中国系、インド系、アラブ系… とたくさんの人種が混在する多民族国家で…

第23話 休憩所の亀

マリーナ・ベイ シンガポール [1988年7月 シンガポール] 昨夜到着時でも暑かったが、日中は言うまでもなく更に暑い。北緯一度。この時期は太陽が頭上を越えて北側にあり、影が南側にできる。初めての体験だ。 道路脇にある休憩所のようなところへ入る。入る…

第22話 厳しい規則

道にゴミは落ちていない (シンガポール) [1988年7月 シンガポール] 翌朝、朝食を済ませて街中へ出る。ゴミが落ちていないキレイな街だ。木の葉以外が道端に落ちているのを見た記憶がない。うわさ通りだ。 ゴミを捨てると罰金、公衆便所で使用後に水を流さな…

第21話 いい娘がいるよ

マーライオン [1988年7月 シンガポール] シンガポールに到着したのは夜の10時頃だった。7月、ほぼ赤道直下にあるシンガポールは暑い上に湿度が高い。夜でもこんなに暑いのか!? 迎えの女性はいない為 タクシーでホテルへ向かうことにした。 翌日彼女から聞い…

第20話 ホンコン(香港)での乗継ぎ

ホンコン カイタック (香港啓徳)空港 [1988年7月 ホンコン(香港)] 1988年7月、ついに初めての海外出張の機会がやってきた。シンガポールとホンコン(香港)だ。また香港へ行ける! 2回目とあって多少の免疫は出来ている。スニーカーを見てスリだとは思わなく…

第19話 海外への憧れ

[1982 - 1984年] 大阪からわずか4時間弱、2,500km ほど離れただけで言葉も文化も生活環境などがこんなにも違う。地球はでかい! もっと遠くへ行けばもっと面白いことが、もっと面白いものがあるに違いない! もっともっと色々な国へ行きたい、色々なものを…

第18話 英領香港

カウロン(九龍)よりホンコン(香港)島を望む 1982年11月 [1982年11月 ホンコン(香港)] 今では日本と中国の地方都市間でもかなりの直行便が飛び交っているが、当時は日中国交正常化から10年が経過していたにもかかわらず、日本と中国の間に直行便はまだ飛んで…

第17話 香港出国

ホンコン(香港島)からカウロン(九龍)を望む 1982年11月 [1982年11月 ホンコン(香港)] 香港出国時には例によって所持品検査。ここでこの旅最後の試練が待っていた。カメラ用のハードケースに目をつけられた。検査官が、ケースを開けてカメラを取り出す。レン…

第16話 映画俳優兼プロテニス選手

Vincent Van Patten (ヴィンセント・ヴァン・パタン) 氏と ホンコン(香港)にて [1982年11月 ホンコン(香港)] 帰国の日、朝のホテル前。ここに集合することになっているのだが、まだ少し早い。玄関先にたくさんの荷物が置いてある。その横には金髪白人男性が…

第15話 ブラック・コーヒー

[1982年11月 ホンコン(香港)] コーヒーは好きで、よく飲む。今ではブラック・コーヒーを飲んでいるが、これを飲むようになったのはこの香港旅行がきっかけだ。 学生時代、たまり場といえば喫茶店。友人ともよく行ったものだが、コーヒーには砂糖とミルクを入…

第14話 食在広州 (食は広州にあり)

マオ・ツォードン (毛沢東) 語録の碑 (クォンツァウ/広州) [1982年11月 ホンコン(香港)] 香港に到着し、中国のグィリン(桂林)、クォンツァウ(広州)を周り再び香港に戻って来た。この間、食事は現地のもの、つまり中華料理を口にしているわけだが、初めて食べ…

第13話 遠くの明かり

中国 国内便の搭乗券 [1982年11月 クォンツァウ(広州)] 中国本土の観光を終え再び香港へ。 クォンツァウ パックワン(広州白雲)空港での出国手続きは入国時とは異なり難なく通り抜けた。搭乗はターミナルビルから少し離れた所に駐機している航空機まで歩く。 …

第12話 笑顔のない接客

グィリン (桂林) [1982年11月 グィリン(桂林)] 夕方 食事前にホテルの近くにある百貨店へ行ってみた。百貨店とは言うものの日本のそれとは程遠い。照明は暗く品数も華やかさもない。 一緒に行った人が何かを買ったが、いらっしゃいませの言葉も何かを買わそ…

第11話 群がる子供たち

ヤンシュオ (陽朔) [1982年11月 グィリン(桂林)] 驚きの光景はいくつもあるものだ。観光地にはたくさんの子供達が集まってくる。牛を連れていた少年と同じような年頃の子供達もたくさんいる。やはり学校には通えない環境なのだろう。特にバスが停まっている…

第10話 値切るが勝ち

ヤンシュオ (陽朔) [1982年11月 ヤンシュオ(陽朔)] 観光地にはたくさんの人が来ているが、その殆どが自分たちも含めて外国人だ。国内の人にとっては優雅に観光をする余裕などはまだないのだろう。もちろん地元の人たちもたくさん見かけるが、彼らは観光客目…

第9話 児童労働

グィリン (桂林) [1982年11月 グィリン(桂林)] 日中のグィリン(桂林)市内。ホテル近くの公園では早朝から多くの人が太極拳をやっている。うわさ通りだ。 少し郊外へ行くと農作業をする人たち。先にも記したが道路は殆どが未舗装なので凸凹だ。車はかなり上下…

第8話 道路交通法ってあるの?

グィリン (桂林) [1982年11月 グィリン(桂林)] クォンツァオ(広州)からグィリン(桂林)へ。カルスト地形の奇岩や山が美しい風景を作り、まるで水墨画の世界に迷い込んだような街である。 しかし市民にとっては見慣れた何でもない景色なのだろう。それよりも彼…

第7話 自動小銃を前に口論

ジャイアント パンダ 於 グィリン (桂林)動物園 [1982年11月 クォンツァウ(広州)] 香港から中国本土入国。クォンツァウ パックワン (広州白雲)空港に降り立つ。グィリン(桂林)へ行く為の乗り換えであるが、入国審査や手続きはここで行い次は国内線に搭乗する…

第6話 大阪に似ている

香港銅鑼湾 (ホンコン コーズウェイ ベイ) [1982年11月 ホンコン(香港)] カウロン(九龍)の目抜通りネイザンロード(弥敦道)を歩く。人が多い! 1,104㎢の区域に550万人(当時)が暮らしている。人口密度は約5,000人だが全土を通してであり、カウロン(九龍)の繁…

第5話 点滅しないネオン

Restaurant JUMBO [1982年11月 ホンコン(香港)] 昼間の観光が終わり夕食へ。カウロン(九龍)の目抜通りネイザンロード(弥敦道, Nathan Road)、原色の派手なネオンが目に痛い。原色だけのせいではない、何かがおかしい!? よくよく見ると全てが点灯しっぱなし。…

第4話 初めての海外

初めてみる外国 [1982年11月 ホンコン(香港)] 準備が整い、いよいよ初めての海外へ。 1982年11月、大阪国際空港 (通称伊丹空港)から飛び立つ。関西国際空港が開港する12年前だ。快晴。沖縄あたりのエメラルド・グリーンの海を飛び越え、初めて日本の領域外へ…

第3話 初めてのパスポート

始めて取得したパスポート「数次旅券」 [1982年 秋 大阪] 15人ほどの小さな会社ながら当時は景気が良く、年に一度の社員旅行は海外と決まっていた。まだ海外旅行の費用は福利厚生の必要経費には認められていない時代に。旅費を特別ボーナス支給という形で処…

第2話 実家を離れ大阪へ

大阪外国語大学 [1977年4月 大阪] 1977年4月13日、18歳と24日で兵庫県の山間の町にある実家を離れ大阪へ出てきた。英語を勉強したいと受験した大学の英語学科に運良く合格したからだ。あれから42年の歳月が流れた。大学へ行くから、英語を専攻するからと言っ…

第1話 時は流れて

[2019年3月 大阪] 2019年、還暦を迎えた。「えっ、もうそんな歳になったのか? 全く実感がない。」この年齢を迎えた殆どの人がそう思うのではないだろうか。 人生一区切り。テニス、写真撮影、フォークソング、ロックバンド、興味を持てば自分でやってみない…