[1982年11月 グィリン(桂林)]
クォンツァオ(広州)からグィリン(桂林)へ。カルスト地形の奇岩や山が美しい風景を作り、まるで水墨画の世界に迷い込んだような街である。
しかし市民にとっては見慣れた何でもない景色なのだろう。それよりも彼らにとって大切なのは日常の生活だ。ここは中華人民共和国、共産圏である。日本とは違って異様に映る光景が多々あった。
成人男性の服装は全員が帯青茶褐色か紺色の人民服に赤い星が付いた帽子。おしゃれの欠片もない。
道路はその殆どが未舗装で日本の土壌とは違い赤土である。広大な国土ゆえに道幅も広いが中央線などない。車も殆ど通らない。当然であるがこの頃 個人所有の車などなかっただろう。通るのはトラックか連結バスだけである。朝夕の通勤時間帯になると、その広い道幅いっぱいに自転車軍団が行き来する。そこへ荷台から落ちそうなくらいたくさんの人を乗せたトラックがやって来る。どう見ても定員オーバーだ。警笛を鳴らしながら近づいて来るが、幾度となく鳴らすのでうるさい! 自転車はモーゼが割った海のごとく左右に分かれる。蜘蛛の子を散らすとは正にこのことだ。その真ん中を車が走り抜ける。車が通り過ぎると自転車はまた元に戻って来る。
まだ交通規則もきちんと整理されていないのだろうか? もしくは守っていないのだろう。今日でもそうであるが… こんな道路だが街路樹は結構きちんと植えてある。が、すべての幹の下1メートルあたりまで白く塗装されている。夜になると街灯もなく真っ暗になるので白く塗ってあるのだとか。
そしてその真っ暗な夜の車の走行規則が面白い、というより恐ろしい。ヘッドライトを点灯して走行してはいけないのだ。近隣住民に迷惑だからというのがその理由らしい。通常の走行時に点灯するのはスモールライト、いわゆる車幅灯のみ。対向車が見えるとお互いがパッシングし合って存在を知らせる。旅行社が用意したマイクロバスで夜間走行も経験したが、非常に怖かった。