tokuchan-worldのブログ

外国ってこんなとこ〜

第180話 人間の命を一番たくさん奪っている生物

ガーナ アクラ郊外

 

[2009年6月 ガーナ アクラ]

 

 前述の通り、入国には黄熱病の予防接種が必須となっているが、国内ではそれよりもマラリアへの恐怖が勝っているように思えた。車へ乗り込んだ時に一匹の蚊が車内を飛んでいた。現地の男は “マラリアマラリア!” と叫びながら窓を開けて追い払う。

 

 こちらにとってはどっちがどうかよく分からないのだが、とにかく蚊に刺されないようにと蚊に効きそうな殺虫剤をいくつか日本で購入し、持参した。日本の蚊には効いてもアフリカの蚊に効くのか?と同僚に冷やかされたが。実際、夜ホテルで寝ている時に2-3ヶ所刺されていた。初めての時は少し怯えはしたが、予防接種もしているしと自分を落ち着かせた。しばらくしても何も起こらなかったので一安心。

 

 アフリカというと野生の動物を思い浮かべる人も多いだろうが、当然ながら街の中にはいない。それなりのところへ行けば凶暴な動物に注意することはもちろんだが、街中では蚊が一番恐ろしい動物/生物なのだ。地球上で人間の命を一番たくさん奪っている生物は、ライオンでもワニでもサメでもなく“蚊”なのだから。

 

第179話 親日国

野口英世博士記念研究室の入口 (ガーナ アクラ)

 

[2009年6月 ガーナ アクラ]

 

 ガーナの主要産業は、カカオと金。今回の出張の目的は金の採掘権を取得する為の準備。念の為にと在ガーナ日本大使館に挨拶に行く。通された応接室のテーブルの上には“ロッテ・ガーナ・チョコレート”が置かれていた。日本とガーナの友好の架け橋となっているようだ。

 

 日本との架け橋と言えば野口英世博士は外すことのできない存在である。黄熱病の研究でこの地に命を捧げられた方である。そのお陰でガーナは親日国であり、博士の研究室は当時のまま保存され、その側には日本庭園があり金色の銅像が建てられている。

野口英世博士の金色の銅像

ガーナ大学医学部でもその功績はしっかりと受け継がれている。

 

第178話 ガーナ共和国 (Republic of Ghana)

ガーナ入国には必須、国際黄熱病予防接種証明書

 

[2009年6月 ガーナ  アクラ]

 

 コトカ国際空港 (Kotoka International Airport)、首都アクラにあるとはいうものの小さな空港だ。出迎えてくれたのはCY氏。通訳はほとんどいらないくらいに流暢に日本語を話す。経歴を聞いて驚いた。

 

 彼は我が母校、大阪外国語大学に留学していたというのだ。留学中の時期と住まいを聞いてまたまたビックリ! 同じ時期に留学生寮に住んでいたのだと。ラグビーの聖地とされる東大阪市花園ラグビー場のすぐ横にあった花園寮は、同じ敷地内に男子学生寮と男子留学生寮があり、自身もしばらくここで過ごした。同じ時期に同じ敷地内に住んでいたとは何たる偶然か。遠く離れた西アフリカの地で三十数年後に会うのは運命だったのか。

 

 空港ターミナルビルを出て、駐車場まで歩く。ビルの傍に数台並んだ国連の車。UNと大きな文字が書かれている。紛争地域や難民キャンプなど厳しい状況の所で活躍しているのをテレビで見たことはあるが、本物を見るのは初めてだ。

 これがここにあるということは、まだまだ国際支援を必要とする国/地域なのだ。物々しい感じがして少し緊張する。

 

第177話 最短滞在記録

マカオ

 

[2009年6月 マカオ]

 

 2009年6月、タレントとしても有名なギニア出身のOSさんの代役として通訳でガーナ (Ghana)とギニア(Guinea)へ行って欲しいと突然の依頼を受けた。アフリカ大陸は、南アフリカ共和国への渡航経験があるが、世界最貧地域とも言われている西アフリカは初めてだ。

 

 早速準備に取り掛かる。が、調べて見ると入国するには黄熱病の予防接種を受けなければならない。あの野口英世博士が研究されていた病気だ。今でも予防接種は必須になっている。そして、なおかつ接種後10日経過以降でないと入国不可とある。やはりそれなりの病気対策は必要なのだ。あわてて神戸税関で予防接種を受け、証明書を発行してもらう。大阪税関でも接種可能なのだが、接種日が決まっている為 早く接種できる神戸まで行った。

 

 航空券や日程は依頼人にすべて任せてある。依頼人は先に出発、マカオに所用があるのでそこで合流する。香港に到着後、空港のある大嶼島(ランタオとう)からマカオまでフェリーボートがあるのだが、時刻が合わず一旦香港島まで戻り、また大嶼島の横を通りマカオへ。紹介したい人がいるからと2-3時間過ごし、空港へ戻る。入国した一海外地域の最短滞在時間だ。

 

 深夜便でアラブ首長国連邦 (UAE)のドバイ (Dubai)まで向かい、ガーナの首都アクラ (Accra)行きに乗り換える。

 

第176話 やっぱり中国

長江を行き交う船

 

[2007年10月 中国 南京]

 

 切符を買って改札へ。やはり人が多い! 改札を通るにも長い列ができていてゆっくりと少しずつ進む。もうすぐと思った時、誰かがすっと前に割り込んで来た。素知らぬ顔で前に立っている。おいっ! ちゃんと並べ! 言葉は通じていないだろうが、身振りと怒っている表情で分かっただろう。おとなしく後ろの方へ移動していった。油断も隙もあったものではない。中国にいることを実感する。(善良な中国の方には申し訳ないが)

 

 とはいうものの、日本も並ぶようになったのは1980年代。1985年頃の大阪では、三列でお待ちくださいという放送がホームで流れていたが、まだまだ並んではいなかった。電車が到着すると好き勝手に乗り込む輩もまだまだ多かった。

 

 改札を抜け、列車の待つホームへ降りる。日本にいるのかと錯覚するような300系新幹線によく似た列車が停車している。日本の技術支援で開発された列車だから無理もないだろうが。これを自国で開発したと特許を申請するのだから困ったもんだ。車内は満席。しかもひと抱えもあるような大きな荷物を持った人が多い。窮屈な上に彼らの話し声がでかい。やっぱり中国。この国の辞書にマナーという言葉はないのか!?  イライラしながら南京に着いた。

 

 市中を車で走る。車線などおかまいなく我先にと走る車、あちこちで鳴り響くクラクション、初めて訪れた25年前は内陸の農村部ではあったが、えらい変わりようだ。

 

 車は、世界第三位の長さを誇る長江を渡る。橋の長さは2km以上はあるだろう。この日は雨、霧がかかって向こう岸がかすんでいる。大きな川を大きな船が行き交う。それゆえに橋桁もかなり高い位置に設置されている。何もかも、良くも悪くも規模がデカイ!

やっぱり 中国やぁ!

 

第175話 なぜにそこまでデカい!?

中国 上海駅

 

[2007年10月 中国 上海]

 

 2007年10月下旬、上海(シャンハイ)の浦東(プードン)国際空港に降り立った。これまでに行った一番近い外国は台湾(台北)と前に書いたが、上海の方が近いな。合弁会社を作って頻繁に行き来している友人に言わせれば「上海は長崎のちょっと先やん」位の距離だ。実際 150分足らずだろう。

 

 今日の予定は、このまま上海駅へ行き列車で南京までだ。高速道路で上海駅へ向かうのだが、道路沿いに立つ高層マンションの数と高さが半端ではない。急速に高度成長を続ける中国、特に経済の中心となっている上海を象徴するかのようだ。

 

 そして到着した上海駅、これもまた空港のターミナルビルのようにどデカイ駅舎だ。しかも中国らしく真っ赤な色で“上海站”とこれまたどデカイ文字が掲げられている。建物正面前の広場もかなりの広さである。それを埋め尽くすように人、人、人。中国は何でもかんでも 何でこんなにバカデカイ?

そんな中国にやって来た~ (笑)

 

第174話 地下鉄乗り放題

バイエルン・ミュンヘン の本拠地 アリアンツ・アレーナ
(ドイツ ミュンヘン)

 

[2006年7月 ドイツ  ミュンヘン]

 

 ミュンヘンを訪れたのは、大きな展示会が開催されており取引先が出店しているのと、競合企業視察の為だ。ホテルから会場までは地下鉄で行くのだが、この展示会の入場券を持っていれば地下鉄は全線無料で乗車することができる。なんと寛大な制度だ。

 

 帰国の前日、夕方には空港近くのホテルへ移動しようと思い、昼ごろに展示会場をあとにしたが少し早すぎたか、時間が余ってしまった。空港近くには何もないし、こちらで時間を潰していこう。どこへ行こうかと地図と見ていると、バイエルン・ミュンヘン (サッカーチーム)の本拠地であるアリアンツ・アレーナ (Allianz Arena)がそう遠くないところにあるのを発見した。試合開催日には、その試合の種類によって外壁が赤、青、白などに発光する。高速道路、アウトバーン (Autobahn)がすぐそばを通っていて、運転中にその美しさに見惚れて事故が多発しているらしい。

 

 つい1週間ほど前まで、ここドイツでFIFAワールドカップが開催されており、アリアンツ・アレーナももちろん会場のひとつになっていた。こんなところにあるのなら、地下鉄もタダで乗れるのだし行かない手はない。他に行きたい所もないし、一度見ておこう。

 

 残念ながらこの日は試合開催日ではなく、また太陽も高い位置にあり、照明を見ることはできなかった。しかし、照明はなくともその作りの美しさと大きさには感動した。

 

 翌日は、まずミュンヘンからフランクフルト(Frankfurt)へ飛んだが、この機体の最前部の丸い部分は白と黒のサッカーボールのデザインになっていた。