tokuchan-worldのブログ

外国ってこんなとこ〜

第70話 肉には困らない

南アフリカのレストラン

 

[1996年10月 南アフリカ]

 

 仕事が終わると先方の担当者が“さぁライオンを食いに行こうか”と言う。冗談だと思ったがそうでもない。ライオン、像、キリン、ワニ、等を提供しているレストランは存在する。自分が行った店にこれらはなかったが、次から次へと色々な肉が提供される。

 

 大きな肉の塊を長い串に刺して、火の周りで焼く。大きい為に中までは火が通らない。表面が焼けるとその串を持ってテーブルを廻り焼けた部分をそぎ落とすように給仕して行くのである。ブラジルのシュラスコやアルゼンチンのアサードと同じ方式だ。

 

 その都度何の肉かと聞いたが、初めて聞く動物などの為残念ながらほとんど覚えていない。覚えているのは、ダチョウとインパラだけだ。初めて食べたが、匂いなどのクセはなく美味しく頂いた。しかし何種類の肉があるのか? 食肉には困らないようだ。自分も食べられるものは何でも食べる。せっかく行った土地、何でも経験しないともったいない。

 

第69話 南半球

南アフリカ キャラミ・サーキット横にあるレストランにて

 

[1996年10月 南アフリカ ヨハネスブルグ]

 

 199610月、南アフリカヨハネスブルグ (Johannesburg, South Africa)へ。香港で乗り換えそこからまだ 13時間ほどを要する。初めて赤道を越えて南半球へ入る。アフリカ大陸ももちろん初めてだ。

 

 夜中に香港を飛び立ち早朝にヨハネスブルグ空港に到着。タクシーで高速道路を快走する。アフリカというとジャングル、草原、猛獣… 等大自然を想像するが、今回行くところはそんなところではない。できることならそっちへ行きたいが。行く手には高層ビル群が迫って来る。

 

 長旅を気遣ってくれ、昼頃にホテルへ迎えに行くから昼食を一緒に食べて午後から打ち合わせという予定になっていた。ホテルでしばらく休憩をしよう。しかしその前にすることがある。

 

 ここで是非やりたいことがあった。まず浴槽にある程度水を貯め、落ち着いたところで排水口の栓を抜く。排水の渦巻きが右回りになったのを確認、南半球に来たことを実感したところで休息へ。

 

第68話 ファンキーなタクシー運転手

パナマ市内

 

[July, 1994 米国 サンフランシスコ]

 

 パナマでの仕事を終え、帰国の途へ。日本への直行便はないので、やはりアメリカ経由。アメリカ本土から日本行きの便はほぼ午前中に出発してしまう為 朝パナマを出ても間に合わない。どうしてもアメリカで一泊が必要になる。パナマからサンフランシスコへ飛び、翌朝の便で日本へ帰ることにした。夜に到着して翌朝すぐに出発するので空港近くのラマダホテルを予約した。

 

 サンフランシスコの空港から無料の送迎バスが出ているのでそれを待つ。しばらくするとラマダホテルと書いたバスがやって来た。念の為に運転手にラマダホテル行きですね?と確認してから乗り込んだ。ホテルに到着し、フロントで予約していますと名前を告げる。カチャカチャとパソコンの鍵盤を叩いたりして確認しているが、一向にお待たせしましたとは言ってこない。早く寝たいから早くしてよと少しイラつく。

 

 しばらくして、申し訳ありませんが予約にお名前がありませんと。なに? そんなはずはない、と旅行社から渡された予約確認のコピーを見せる。すると、これは別のラマダホテルです、空港を挟んで反対側にもう1軒あるのです。と言うではないか。

 な〜に〜!? 空港へは送迎バスが往復していますのでそれで空港まで行って、もう1軒のラマダホテルのバスに乗りますか? それともタクシーを呼びましょうか? タクシーなら $10 位ですが。当時で ¥1,400位だったろうか? すでに夜の10時を過ぎている。早く寝たい。タクシーを呼んでください。

 

 ロビーで待っていると、細くてひょろっとした若い黒人男性がタクシーを呼んだ人は?とちょっと跳ねるような歩き方でホテルへ入って来た。トランクに荷物を積んで出発するや、どこから来たの?何しに来たの?… と次々に話しかけてくる。話をするから半身の状態で運転している。おもろいヤツやな。30分もかからずにホテルに到着。$8だったか $9だったか、$10には満たなかった。

 

 チップ込みで$10を払い領収書ちょうだいねと言うと、いくらって書いておこうか?と聞いてきた。手書きの領収書だ。えっ?と聞き返すと、どうせ会社が払うんだろ? と笑いながら多めに書いてくれた ()Thanks, funky bro.

 

第67話 嫌いなはずのレゲエ

パナマ運河によって分断された南北アメリカ大陸をつなぐアメリカ橋

 

[1994年 パナマ]

 

 この頃はハードロック意外は音楽やない!というくらい他のジャンルの音楽は聞かなかった。特にレゲエの軽いリズムについて行けず、聞こえてくるだけでイラっとしていたものだ。(レゲエ好きの人には申し訳ない)

 

 午後に少し時間が取れた日、せっかくだからパナマ運河を見に行くか? 車で15分位だから。ということでちょっと見に行くことに。車中では現地のFMがかかっている。レゲエが聞こえてきた。が、なぜか嫌悪感がない。

 

 降り注ぐ太陽、左手に太平洋の大海原、道路脇にはヤシの並木、雰囲気に溶け込んで嫌悪どころか心地よく聞こえた。嫌だと思っているものも状況や環境を整えればよくなるものなのか。一つ大人になったかな?(笑)

 

第66話 夕立と停電

パナマ

 

[1994年7月 パナマ]

 

 パナマは、南北を海に挟まれた熱帯雨林地帯である為 非常に蒸し暑い。5月から12月半ばが雨季となっていて毎日午後になると激しい雨が降る。今の日本のゲリラ豪雨のような激しい雨、いわゆるスコールだ。そしてお決まりの停電。規模は違うが、子供の頃を思い出して懐かしく感じた。

 

 1960~1970年代の夏休みといえば、毎日のように夕立があったものだ。田舎だったのでどこに雷が落ちるか分からない為とても怖かった。電力事情も今とは比べものにならない。テレビのコンセントなどはすぐに抜いていたものだ。もちろん停電も頻発していた。そして雨が上がると少し涼しくなる。

 

 今やコンクリートジャングルに囲まれて夕立も少なくなり、夜の気温も下がらない。暑いまま夜が明けるとまた熱い日差しが降り注ぐという悪循環。どうなる地球温暖化

 

 スコールの後 夕食は現地のビール、その名もパナマ (そのまんま)で始まる。少し軽めだが美味かった。

 

第65話 不審者じゃないですよ

パナマ市内

 

[1994年7月 パナマ]

 

 出張先ではいつも通りの打ち合わせ。二日目になり慣れてくると、ブラブラと歩いて町並みを見てみたい気がして、迎えに来なくていいよと言ってホテルから取引先まで歩いて行くことにした。

 

 朝の通勤ラッシュ、ホテルの前の大通りは車が渋滞している。おまけにクラクションはお構いなしに鳴らすのでうるさい。横断歩道はどこかにあるのだろうが、信号機までもちょっと距離がある。車の合間を縫って横断する人が多い。が、香港のところでも書いた通り、日本と違って歩行者が優先されるわけではない。もし車に当てられても車道に出てきたオマエが悪いで済まされるだろう。慣れていない自分にはちょっと無理か。

 

 警官がいるので聞いてみよう。横断歩道はどこにあるのですか? 怪訝な顔をされた。英語が全く通じない。こちらもスペイン語は分からない。あぁ結構です と立ち去ろうとすると、腕を捕まれちょっと待てと言われているみたい。掴んだ腕を離そうとしない。そして大声で少し離れたところにいるもう一人の警官を呼ぶ。不審なヤツと疑われているのだろうか? 彼がやって来て何やら話をしている。駆けつけた警官は少し英語が分かるようで、どうしましたか?と聞いてきた。いやいや、安全に道を渡れるように横断歩道はないですか?と尋ねただけなんですが。彼は、あそこにありますよとさっきまで彼がいたところを笑いながら指差した。

 

 無事に道路を渡り、住宅街を抜けて行く。事務所に近づくと工場や大きな倉庫が目立つようになってきたが、大きな門はすべて閉まっている。今日は平日なのに休業か? と思っていると一つの門が開いてコンテナーを牽引した大きなトラックが出てきた。門から中が見えた。たくさんのトラックや人が行き来している。治安が悪い為 日本のように開けっ放しはあり得ないのだ。常に守衛が確認してから門の開閉を行っている。

 

 そして取引先に着いた。入り口のガラス戸を開けようとしたがやはり施錠されている。中から女性がこちらを見て開錠してくれた。

 

第64話 思えば遠くへ来たもんだ

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パナマ運河

 

[1994年7月 カナダ  トロント => パナマ]

 

 北米カナダから中米パナマへ移動。パナマトロントの真南、どちらも西経79度上にある。直行で飛べば5−6時間くらいだろうか。しかしいつものごとく安いチケットの為 あちこち経由。まずトロントからニューヨーク (New York)はラガーディア (LaGuardia)空港へ飛ぶ。

 

 トロントを離陸するとオンタリオ湖の上空を飛行する。湖というものの日本のそれとは規模が違う。まるで海。五大湖の中では最小だが、面積は四国とほぼ同じ。しばらくして陸地が見えるとそこはもうニューヨーク州だ。緑の大地が延々と続く。ニューヨークというと高層ビル群を連想するが、そんな光景は微塵も見えない。あれはニューヨーク州の端っこだ。そしてその端っこ、ビル群が見えニューヨークの愛称であるBig Apple の文字が書かれた植え込みを左に見ながらラガーディア空港に着陸した。1時間ほどの空の旅だった。ここで乗り継ぎ、今度はマイアミ行きの便に搭乗する。

 

 初めてのニューヨーク、自由の女神か何か知っているものが見えないかキョロキョロするがニューヨークを感じるものは見えない。隣に座った男性が、ここは東の端だからね。あそこにマンハッタンのビル群が見えるだろうと指を指す。窓の外を見ると高さ10cm ほどのビル群のシルエットが見えた。直線距離で10km足らずなんだが。

 

 ニューヨークからマイアミ (Miami)まではアメリカの東海岸に沿って南下する。マイアミに到着する少し前に“ただ今右側にケネディ宇宙センタースペースシャトルの発射場が見えています”と機内アナウンスがあった。右窓側に座っていたので探してみたが、残念ながらどれだか分からなかった。この9日前にスペースシャトル・コロンビア号が打ち上げられ、日本人女性初の宇宙飛行士である向井千秋さんが宇宙へ飛び立ったばかりである。

 

 マイアミ国際空港が近づき機体は高度を下げる。青い海とマイアミビーチの白い砂のコントラストが美しい。空港は混んでいるのか上空で待機するがかなり低空で旋回していた。そして着陸。この空港は中南米の玄関口となっている為 スペイン語でのアナウンスが多い。ここで本日最後の便 パナマ行きに搭乗する。が、最悪の座席に当たってしまった。右側三人掛けの真ん中だ。両隣は男性と女性だが、こっちの人たちは身体がでかい。これは参った。着席した時から憂鬱な気分に。いつも早めにチェックインして通路側を確保するのだが、この日は前日の予期せぬありがたいビールのお陰でギリギリになってしまったのだ。しかも夏休みとあって満席。変更不可。

 

 窮屈な3時間弱だったが、途中カリブ海の綺麗な海に感動させられたりで何とか無事にパナマはトクメン空港 (Aeropuerto Internacional de Tocumen)に降り立った。今まで行った中で最遠の地だ。

 

 ニューヨークからマイアミ、マイアミからパナマと南へ向かうに従って搭乗客たちの肌の色が徐々に濃くなっていく。決して差別的な意味で言っているのではない。もちろん東南アジアへ行ってもそうなのだが、こちらはまだ顔立ちも同じ東洋系。しかし、これだけ彫りの深いラテン系の人たちに囲まれたのは初めてだ。

 思えば遠くへ来たもんだ。