tokuchan-worldのブログ

外国ってこんなとこ〜

第126話 びた一文払ってやるもんか!

フォークランド (マルヴィナス) 紛争で犠牲になった兵士の碑 ブエノスアイレス

 

[1998年5月 アルゼンチン  ブエノスアイレス]

 

 土曜日の夜、人は少なく 空港内の広い通路はガランとしている。預けた荷物を受け取り、荷物検査場へ。税関に申告するものはない。すんなりと通過する予定だった。例によって係官がスーツケースを開けろと言う。中をごそごそとしたかと思うと、3cm x 2cm x 30cmほどの細長い包みを取り出した。集積回路 (通称ムカデ)5個を包んだものだ。当時は電子式キャッシュレジスターを輸出しており、そのソフトウェアのサンプルを記録した集積回路を持っていた。

 

 販売目的ではないし、数もわずか5個だったので特に税関に申告する必要もなく、これに関する Invoice等の書類も作成していなかった。その旨を説明したが、申告する必要があり、しかも1個 $1,000 (当時の為替レートで13-14万円) はすると言い出した。税金の額は商品の金額のxx%であるから元の価格は高い方が彼らにとっては都合がいいわけだ。アホなことを言うな! もし仮に申告するにしても1個 $7 (1,000)程度だ。$1,000も出したらこのパソコンが買えるわ! と開いたカバンから顔を覗かせていたノートパソコンを指差した。$1,000だ、$7だ、いや申告の必要すらない と言い合いが続く。

 

 日本人は金を持っていると思われている。何か金になりそうなものを見つけ出して税金だの何だのとせびってくる。言い争いが嫌いだから $10ほどを払って済むなら金で解決する日本人が多いと聞く。嘗められたもんだ。びた一文払ってやるもんか! とことん言い合ってやろう。

 

 ところが、この係官 (男性二人)はあまり英語が上手ではない。訛りもきつい。腹も立っているし、バカにされているのならバカにしてやろう。お前の英語は解りにくい。ここは国の玄関やろ。もっと英語の上手な人を呼んでくれ。と言うと、上司らしき女性がやって来た。が、彼女の英語もあまり大差ない。同じことの繰り返しだ。のんびりしているのか、到着客も少ない為かしつこく絡んでくる。なかなか解放してくれない。もうかれこれ30分はやり合っている。

 

 しぶとい日本人だなと思っているだろう。すんなりと首を縦に振らない頑固なこちらに対して、先方もしびれを切らしたのか「ところで、この後はどこへどうやって行くんだ?」と男性が話を変えた。「友達が迎えに来てくれている。ビセンテロペス (Vicente Lopez) のホテルに泊まる。」と答えると、その友達をここへ連れて来いと言い出した。出迎えの人がこの場所へ入れるのか? 荷物をそのままにして出口へ向かった。

 

 出口の扉が開き、出迎えの人達が一斉にこちらを向く。その中にアルゼンチン代理店の社長の娘 マリア (Maria)はいた。Hola (こんにちは)と笑顔で手を振っている。長く待たされてホッとしたのも束の間、すぐにこちらの様子がおかしいのに気付いた。荷物は? そりゃそうだろう。地球の反対側から手ぶらでやって来るはずもない。事情を説明すると、またか というような顔をして困ったもんだとつぶやいている。こんなことが度々あるのか!? 何という国だ。

 

 一緒に中に入ってもらうのだが、こんな場所からもう一度中に入ることができることなど知らなかったし、後にも先にもこれ一回きりだ。係官に言うと、慣れているのか横にある小さな扉をすんなりと開けてくれた。検査場に向かって歩きながら、マリアに詳細を説明する。特に価格に関しては $7 と言ってあるから話を合わせてくれと念を押す。

 

 検査場に戻ると、会話は全てスペイン語。何を言っているのか全く分からないが、マリアもかなり興奮している様子だ。それでも まだ10分くらいは言い合いが続いたが、ようやく解放された。

 

 着陸前に30分ほど上空で待機させられ、着陸してからも約1時間、予定よりかなり遅れてのアルゼンチン初入国となった。もちろん、びた一文払ってはいない。

 

第125話 南米のパリ

アルゼンチン ブエノス アイレス

 

[1998年5月 モンテビデオ => ブエノスアイレス]

 

 ウルグアイを飛び立ち対岸のアルゼンチン、ブエノスアイレスに向かう。40分ほどの飛行のはずが、エセイサ国際空港 (Aeropuerto Internacional de Ezeiza) が非常に混雑しており30分ほど上空を旋回、待機させられる。

 

 お陰で夜8時頃の市内の綺麗な夜景を堪能できた。ほぼオレンジ一色の街灯が整然と碁盤の目に並ぶ洗練された街並みだ。南米のパリと言われる所以か?

 

 ようやく着陸、あとはいつもの手続きを済ませるだけだ。しかし、このあと大変な事態が待ち受けていることなど知る由もなかった。

 

第124話 川幅 270 km!

ラ・プラタ川 (ウルグアイ モンテビデオ)

 

[1998年5月 ウルグアイ  モンテビデオ]

 

 メルコスール (南米南部共同市場)の説明を受ける為 港へ向かう。事務所を出て海沿いの道路を走る。天気はあまりよくないが、雨は降っていない。砂浜に波が打ち寄せ、道路脇にはヤシの並木。

 

 今は5月の下旬、晩秋、海水浴の季節ではない。一番暑い1月には多くの海水浴客で賑わうのだろう。などと話していると、これは海じゃないよ、川だよと言う。ん? 波が打ち寄せ水平線が見える。どう見ても海でしょ? そんなに疑うなら車を降りて水を舐めてみるか?と言う。え〜っ真水なの!?

 

 ラ・プラタ川というれっきとした川の河口だ。この辺りの川幅はなんと270km! 直線距離で大阪 – 静岡、東京 - 仙台くらいはある。アルゼンチンとの国境を成し、川の向こう岸はブエノスアイレス。これに比べりゃ瀬戸内海の本州四国間など溝みたいなもんだ。

 

第123話 第1回 FIFA ワールドカップ

モンテビデオの丘からの景色

 

[1998年5月 ウルグアイ モンテビデオ]

 

 この年 1998年、あと1ヶ月足らずで第16FIFAワールドカップがフランスで開催され、日本が初めて出場する。モンテビデオの最高地点にあるモンテビデオの丘からは市内が一望でき、数キロメートル先にある第1FIFAワールドカップ開催地である エスタディオ・センテナリオ (Estadio Centenario)、センテナリオ競技場が見えていた。

 

 サッカーのことはよく知らないが、ここから始まったのかと少し感慨深いものがあった。あちこちで、日本は今年初出場だがどうだ?と聞かれたが、日本代表には失礼ながら全敗でしょうと答えていた。まだまだ日本のサッカーは世界に通用するとは思っていなかった。

 

 ウルグアイの代理店の顧客のところへ向かう途中、記念すべきものを見せてやろうとこの公園に立ち寄ってくれたのだろう。ワールドカップ開催の年でもあり、日本が初出場する記念の年にいいものを見せてもらった。また、彼らにとって第1回目は自分たちの国で開催されたことが誇りであり、それを自慢したかったのかも知れない。

 

 日本では奥ゆかしいことが美とされるが、彼らは違う。自慢できることは堂々と自慢する。日本人も見習ってもいいのでは。

 

第122話 チンタラ仕事してんじゃねぇよ!

ウルグアイ モンテビデオ

 

「1998年5月 ウルグアイ  モンテビデオ]

 

 ウルグアイ、正式名ウルグアイ東方共和国カラスコ国際空港 (Aeropuerto Internacional de Carrasco)に到着。パスポートコントロールを通過、税関への申告はなし。後は最後の荷物検査だけ。特に何もないしすんなり通過できるだろうと思っていたが、スーツケースを開けろと言う。

 

 鍵がかかっているので、鍵を出そうと持っていたカバンの中を探し出すと、係官は後ろを向いて別の係官と話をし始めた。ケースを開けるまでの少しの時間だけで、すぐにこちらを向くのかと思いきや、ケースは既に開いているのに中々話は終わらない。

 

 It’s opened (開けたよ)と言っても聞こえているのかいないのか!?!?  しばらく待つが振り向かない。さっさとやれや! 頭にきたのでバタンッと音を立てて閉めてやった。その後振り向き、開けろと言ったろ。開けていたのにお前が振り向かんから閉めた。もう一度開けろ。

 

 こんなやりとりをして再度開ける。ケースの中をゆっくりと、しかしぐちゃぐちゃに搔き回す。OK、行ってもいいぞ。国民性か? 個人の性格か? のんびりな上 雑な扱いだ。

 

第121話 機体の整備は大丈夫か!?

チリ サンティアゴ

 

[1998年5月 チリ サンティアゴ]

 

 嬉しい土産 (注文)をもらって意気揚々と次の訪問地ウルグアイの首都、モンテビデオへ移動する。アンデス山脈を越えて東の方向だ。来た時同様ぶどう畑の横を通り過ぎ空港に到着。搭乗するのはチリを代表する通称ランチリ航空だ。一番後ろの席に座る。モンテビデオまでは短い飛行だが、後ろを気にせずに背もたれを倒すことも出来る。キャビンクルーの待機場所も一番後ろだから時々話をすることも出来る。

 

 ところがこの座席、ボタンを触ってもいないのに背もたれがゆっくりと後方へ倒れていく。元に戻しても、もたれるとまたゆっくりと倒れる。例によって機内では出発前の緊急時の注意事項が説明されている。近くにいたキャビンクルーに、背もたれが壊れていますと言うと、後ろには誰もいないから大丈夫です。気になるのなら好きな場所に変わってもいいですよ。よく空いていますから、だと。さすがラテンのノリだ。いやいやそういうことではなくて、整備は大丈夫なのか? と少し不安になる。移動するのも面倒だし、そのままにした。

 

 離発着の時に、背もたれを元の位置に戻すのは、もし緊急事態が発生した場合に後ろの人が避難しやすいように前を広く空けておく為なのだということをこの時初めて知った。キャビンクルーが 後で戻すのが面倒だから客にやらせているのだと思っていた ()

 

第120話 タイムスリップ

証券取引所 チリ サンティアゴ

 

[1998年5月 チリ  サンティアゴ]

 

 市内中心部は日本の都会と変わりなく、現代建築のビルが立ち並び道路は綺麗に舗装されているが、少し郊外へ行くと簡易舗装になっている。その為交通量の多いところでは舗装がめくれて大きな凹みができているところや、雨水が溜まっているところもある。昭和30~40年代の子供の頃にタイムスリップしたようだ。それを避ける為に運転手は右に左にハンドルを切るが、避けきれずに凹みにはまって車が大きく上下に揺れることもある。何度か頭を天井に打ち付けた。

 

 自分の身を守るのに精一杯で、隣の座席に置いたカバンのことは忘れていた。ホテルに戻りノートパソコンを取り出して開いてみると電源は入るのだが、画面が真っ暗。どうやら車の振動で画面を接続している線がおかしくなってしまったようだ。まだパソコンが普及し始めた頃、大切な資料は印刷して持参しているので仕事そのものには大した影響はない。まだまだアナログの時代だ。

 

 そして商談は、ありがたいことにたくさんの注文を頂いた。これで今回の出張経費は確保出来た。またまた幸先のいいスタートとなった。