tokuchan-worldのブログ

外国ってこんなとこ〜

第159話 俺は空港職員だ

カラカス・シモン・ボリバル (Simón Bolívar) 国際空港

 

[1999年9月 ベネズエラ  カラカス]

 

 早朝のカラカス・シモン・ボリバル (Simón Bolívar) 国際空港。いわく付きの空港だ。今回はすんなりと出国させてくれ。隣国トリニダード・トバゴ (Trinidad and Tobago)の首都ポート・オブ・スペイン(Port of Spain)へ向かう。

 

 チェックインしようと航空会社のカウンターを探すが見当たらない。通りかかった男性に場所を聞くと、あっちだと教えてくれた。連れて行ってやるとスーツケースに手をかける。いやいや、場所さえ分かれば自分で行くから大丈夫だ、と言っても手を離そうとしない。こんなことで手伝ってもらうと金を要求してくるのは目に見えている。スーツケースを取り戻そうとするが、手を離さない。離せ、離さない、の繰り返し。あぁまたか…  いつもいつも面倒くさい空港だ。

 

 こちらの考えていることを察したのか “俺は空港職員だ”と言う。確かに首から名札を掛けている。そこまで言うなら、職員なら大丈夫か!?  “職員か。ならば金は払わないぞ!” OKと言うので、仕方なく一緒にチェックインカウンターまで歩く。

 

 到着し、ありがとうと言ってスーツケースを取ろうとすると、その手を離すことなくもう片方の手が手のひらを上に向けて伸びてくる。何だ? と言うとチップとの返事。空港職員やろ! 金は払わないと言ったやろ! これも給料に含まれた仕事やないのか! ケースを取ろうとするが、強情な男だ。またもや口論。時間があまりないのでポケットにあった2米ドルを渡すと、NO と言って受け取らない。ど厚かましく、少ない、10米ドルだとチップの金額を指定してくる。10米ドル!?  またまた揉めに揉めたが、これ以上揉めている時間はない。10米ドルを取られてしまった。

 

 後にも先にもこんな形でお金を失ったのはこれ一度きりだ。あ~ 大失態、好きになれない空港や。

 

第158話 タクシー?

真っ青な カリブ海

 

[1999年9月 ベネズエラ  カラカス]

 

 ベネズエラ、カラカス空港。以前レストランのウェイターと大げんかしたところだ。いい印象はない。今回は乗り換えの為だけに利用することになった。ボゴタから深夜の到着、ホテルで一泊して翌朝にはトリニダード・トバゴへ向けて出発する。

 

 空港の到着ロビーに出ると“タクシー? タクシー?”と呼び込みの男が寄ってくる。こういうのは大概白タクだ。No, no, と追っ払っても付いてくる。無視して正規のタクシー乗り場に行くと、先ほどの男がいる。何やお前か!?  お互いを見て笑った。正規のタクシーなら待っていれば行くのに何を焦っている?

 

 ホテルまでの距離が分からない。いくら位かかるのだろう? 米ドルしかないけどいいか? と言うと、no problemとの返事。通貨が不安定な国では自国通貨より米ドルの方が有難がることが多い。受け取ってくれることは分かっていたが、あとで揉めないように念の為 確認しておく。ホテルの住所と名前を記したメモを見せて金額を聞く。英語でfifteen dollars (フィフティーン ダラーズ)と言っているのだろうが、よく分からない。分からないと言うと、スペイン語でquince (キンセ=15)と言うのでようやく理解できた。しかも何とこれから向かうホテルの名前が Quince Hotelだった。またまた二人で笑う。

 

 荷物をトランクに入れて車に乗り込むが、フロントガラスにヒビが入っている。走り出すとガタガタと音がする。大丈夫か? 乗り心地はお世辞にもいいとは言えない。時々片目で走っているタクシーもいる。日本では考えられない。高速道路を西へ向かう。海岸線に沿って走っているのであろうが、街灯はまるでなく真っ暗闇の中を疾走する。海と道路の間には木々が生い茂り海は見えない。運転手は英語が分からないのでお互い無言だ。悪いことを考えるとキリがないが、治安の悪い土地だけに余計なことを考えてしまう。まして日本人は金を持っていると思われいてどこへ行っても狙われやすい。幸か不幸か自分は金は持っていないが。

 

 道路の横はたくさんの木々。もし運転手が悪人で車をこの木立の中へ入れて、金を出せと言ったらどうする? 深夜0時近く、周りは真っ暗。車もほとんど通っていない。呼べど叫べど誰も来ない。携帯電話もない。やはり多少の不安はなきにしもあらず。そんなことを考えていると、車が木々の間の細い道へと入って行った。不安マックス! と、その先に海が見え、明かりが見えた。あれがホテルだよ。暗くて分からなかっただろうが、木々の間へ入って行った時には血の気が引いていたのではなかろうか。フロントガラスも割れることなく無事ホテルに到着。言われた通りquince dollars (15ドル)を払う。明日の朝 空港へ行くのなら迎えに来るよと行ってくれたが、ホテルで手配してもらうからとお断りした。往復分の料金を取られそうな気がしたからだ。

 

 翌朝、目が醒めると晴天。窓の外には真っ青なカリブ海が広がっていた。

 

第157話 塩の教会

塩の教会

 

[1999年9月 コロンビア  シパキラ]

 

 土曜日の午後、おもしろい所へ連れて行ってやると言って大学生の息子が車に乗せてくれる。街の中心部はそうでもないが、郊外へ行くとやはり道路事情は変わってくる。南米の他国同様に所々の舗装が剥がれ、大きなくぼみができている。それを避ける為に車は蛇行する。対向車がある時はしかたなく窪みにはまり、上下に大きくバウンドする。

 

 南米では車高の低いスポーツカーは売れないな。四輪駆動が実用的だ。パリ-ダカールラリーで優勝経験もある三菱パジェロも人気だが、残念ながらパジェロという名前は、というよりこのアルファベットの綴りでは販売できない。これをスペイン語読みすると○○○、南米ではご法度だ。テレビなら“ピー音”が入る。名前を変えて販売しているそうだ。

 

 エリック・クラプトンを聞きながら車はどんどん山の奥へと入って行く。車の通行量も少なくなり、道路脇は木々に覆われてきた。コロンビアは、コーヒーと麻薬で成り立っている国だ。代理店の社長が言っていた。ゲリラはこういう所に潜んでいる。そして通行人を襲うのだ。まさに現代の山賊だ。日本人らしき男が乗っていると目をつけられてはいないだろうな。少し不安がよぎったが、その不安もよそにボゴタから約50kmほど北にあるシパキラという街に無事到着。

 

 彼が見せたかったのは“塩の教会”。それは、塩鉱山の地下200m地点に掘られた洞窟内にあるカトリック教会だ。途中いくつもの礼拝堂があり、それらを抜けた先にあるのが大聖堂エリア。高さ22mの壁 (すべて塩)に刻まれた全長16mの巨大十字架がある。地下部にあるものとしては世界最大。すべて塩であり、人の手で掘られたものである。その壮大さ、荘厳さ、ライトアップされた幻想的な空間には圧倒された。普通に歩いていると岩のように見えるが、近寄ってみると少しキラキラしている。ガイドが、疑うなら岩肌を舐めてみれば分かるよと。なるほど、しょっぱかった。

 

 鍾乳洞観光のような感覚で見ていたが、あくまでも教会なので、ガイドの説明にはキリスト教に関する言葉が多く入る。正直よく分からなかった。

 

第156話 深夜の電話

コロンビアの夜の街

 

[1999年9月 コロンビア  ボゴタ]

 

 代理店の社長家族と夕食へ。またまた寿司。やはり日本人は寿司が好き、高級料理だという意識があるのだろうか。チリでご馳走になった寿司は日本人が握っていたが、こちらの職人は分からない。座敷に運ばれて来るので厨房が見えなかった。味はあまり記憶にない。チリの方が美味しかった。しかし、先にも記したがここボゴタは標高2,500mだ。その上 海からは300~400km内陸だ。ここで寿司を食べるとは思わなかった。

 

 この日は金曜日、あとは大学生の息子と飲みに行けばいいと社長が言ってくれた。社長とその奥様 娘さんは帰って行った。飲屋街に着いてしばらくはぶらぶらと歩いて雰囲気を楽しむ。日本の歓楽街のように高層ビルではなく、一戸建ての店が並ぶ。街灯もそれほどなく、薄暗い店内から漏れてくる明かりぐらいだ。それぞれが大きな音で音楽を流している。不思議なことに扉が開けっ放しだが、歩きながら店内が見えるので店を選ぶのに苦労はしない。さすがに金曜日の夜、たくさんの人出だ。

 

 ふと、サッカーの エスコバル選手のことを思い出した。銃撃されたのはボゴタではなく数百km離れたコロンビア第二の都市 メデジンという所だが、こういう雰囲気のところで襲われたのだなと少し恐怖を感じた。二軒ほどはしごをして、ホテルまで送ってもらった。

 

 ホテルに帰ったのは深夜0時頃。部屋へ入るやいなや電話が鳴った。“もしもし”日本語で応答する。相手は誰なのか予想できたからだ。日本は14時、電話をかけてくるには全く問題ない時刻だ。聞こえてきた声は予想通り本社の社長だ。“どこへ行ってた! 今 帰ったのか!?”  “週末ということでちょっと飲みに連れて行ってもらってました”“大丈夫かぁ!?  頼むからウロウロせんとってくれ(しないでくれ)”  こちらの命を心配してくれてるのか、身代金を心配してるのか!?!? 

 

第155話 標高2,500m

アンデス山脈の北端に位置するボゴタ (ある Webより拝借)

 

[1999年9月 コロンビア  ボゴタ]

 

 ペルーのリマからボゴタ、エルドラド国際空港に到着した。代理店の社長が自ら出迎えてくれた。スーツにネクタイ姿。こちらの服装はTシャツにジーンズ。本社の社長の言いつけ通りにしていたわけではない。この日は移動だけだったからだ。基本的にスーツやネクタイは嫌いで、仕事がない時は軽装だ。ホテルに向かいながら車中で話していると、突然 大丈夫か? 気分が悪いとか頭が痛いことはないか? と聞いてくる。まったくなにも感じない。どうして?

 

 ここボゴタは標高が2,500m 位あって (富士山の五合目くらい)、平地から飛行機で急に高いところへ来ると高山病になる人がいる。だから聞いてみたんだ、とのこと。なるほど。富士山の頂上(3,776m)へ3度も行ったがその時も何ともなかった。もちろん徒歩で時間をかけて登っているから簡単に比較はできないだろうが。

 

 地図で見ただけではその標高は簡単には分からない。言われてみれば、ボゴタアンデス山脈の北の端に位置する。周囲にある山々は信州あたりで目にするくらいの高さに見える。ここが標高2,500mならあの山並みは4,000-5,000m級か。みんな富士山より高いのだ。

 

第154話 日本人はカモ

コロンビアの首都ボゴタの街

 

[1999年9月 コロンビア  ボゴタ]

 

 次の訪問地はコロンビアの首都ボゴタ

出張計画書を会社に提出した時、社長に呼び出された。「コロンビアへ行くのか? どうしても行かんとアカンのか (行かないといけないのか)? 大丈夫か? スーツやネクタイでなくてエエから。ジーンズ、Tシャツでエエ。ウロウロするなよ。…」矢継ぎ早に注意や指示が飛んできた。

 

 言いたいことは分かる。首都のボゴタは、1990年代には世界で最も暴力的な都市であり犯罪率の非常に高い都市と言われていた。そしてコロンビアと言えば、日本人の誘拐で有名だ。金を持っている(と思われている)日本人を誘拐し身代金を要求する。日本人は命を最優先し簡単に身代金を取れるからだ。社長が心配したのは、誘拐されても差し出す身代金がないことなのかもしれない!?(笑)  お前の命の保証はしないぞという意味か!? 

 

 ここでも銃による犯罪は日常茶飯事だ。1994年の FIFAワールドカップアメリカ大会で、コロンビア代表は優勝候補と言われていたが、オウンゴールにより予選敗退を喫してしまった。このオウンゴールを入れてしまった選手が、帰国後凶弾に倒れるという事件が起こっている。サッカーに関しては判定に不服があれば審判にまでその銃口が向けられることもあるそうだ。

 

 とりあえず、治安が非常に悪いことは確かだ。もちろん不安がなかったわけではないが、滅多に行けない場所だ。現地の人間と常に一緒に行動するから大丈夫だろうという感覚だった。これが一番危ないのだが… 社長を説き伏せなんとか承諾を得た。

 

第153話 インカ帝国

ケーナ

 

[1999年9月 ペルー  リマ]

 

 ペルーと聞いて連想するのは、インカ帝国アンデスマチュピチュ、ナスカの地上絵だ。が、残念ながらこれらをまだ見た/経験したことはない。近くまでは行っているのだが、仕事だから仕方がない。

 

 ペルーは、16世紀までは当時の世界最大級の帝国だったインカ帝国の中心地だった。その名を語った清涼飲料水がある。インカ・コーラだ。アンデスの奥地に存在するとされた伝説上の土地、エル・ドラード (黄金郷)にちなんでか金色の飲料である。甘味が強く炭酸はあまり強くない。コカ・コーラをおさえて国内一のシェアである。今では日本でも手に入るらしい。

 

 そしてアンデスといえばその音楽、フォルクローレ。それらを奏でる楽器の独特の音色と旋律が印象的で哀愁を漂わせる。”コンドルは飛んでいく(El Cóndor Pasa)”はご存知の方も多いだろう。ペルーを離れる時、空港の待合室で搭乗を待っていると、この曲を演奏したいのであろう、失礼ながらへたくそなケーナの音が聞こえてきた。どうやらドイツの団体観光客の一人が土産もののケーナを買ったらしく、練習している。ケーナを持てばやはりこの曲を吹きたいのだ。ご多分にもれず、自身もケーナを買った。が、いまだに吹けない ()