tokuchan-worldのブログ

外国ってこんなとこ〜

第166話 一番近い外国

台湾 台北の朝

 

[2005年8月 台湾 台北-台中]

 

 2005年初めての台湾。今までに訪れた中で一番近い外国だ。台風接近の為今回の出張は延期かな?と思ったが、搭乗便の到着予定時刻が台風の通り過ぎる少し後になるということで、欠航にならなかった。しかし、通り過ぎたとはいえ風雨はまだ残っている。着陸時には結構揺れた。

 

 例によって代理店の車に乗せてもらい、台中まで移動する。高速道路を走るが、雨が非常に強くなってきた。途中トラックが横転というのか転覆というのか、屋根を下にしてガードレールに引っかかっていた。救急車もパトカーもどこにもいない。運転手は無事だったのだろうか? 台中に着く頃には雨や風も弱まり穏やかな天気になった。

 

 高速道路は山間部を走っていたが、山の感じなど景色は日本と同じ。海外にいるという感覚はまるでなかった。街中へ入ると、やはり中華料理やその食材の匂いが強く鼻をつく。朝夕の通勤時間帯には非常に多くのバイクが道路を行き交っていた。

 

 南米とは違い、何の問題もなく3-4日が過ぎ、3時間ほどで日本に着く。外国へ行ったのか?というような感覚。仕事抜きでゆっくりと食べ歩きをしたい所だ。もちろん呑みながら。

 

第165話 テキサス州ダラス

ダラス・フォート・ワース国際空港

 

[1999年9月 米国テキサス州ダラス]

 

 何の問題もなくダラス・フォート・ワース空港に到着する。南米では色々な場所で何かしら問題が起きた(笑) ここまで帰って来ると一安心だ。とは言え アメリカは銃社会、用心するに越したことはない。ダラスと聞けば、1963年11月当時の大統領 J.F.ケネディが凶弾に倒れた事件が真っ先に思い浮かぶ。

 

 シャトルバスでホテルを往復するだけだ。が、このシャトルバスの乗り方、運転手にチップを渡すのかどうかがよく分からない。基本は不要なのでホテルへ行く時は渡さなかったが、翌日空港へ行く時に念の為ホテルの人に確認してみた。やはり答えは NO、渡さなくていいとのことだった。

 

 ダラス・フォート・ワース空港は非常に大きな空港なので、搭乗便ごとのターミナルビル間が遠く離れている。間違ったところで降りてしまうととんでもないことになる。バスは、ターミナルビルを順番に回って行く。と、降りる人を見ているとチップを渡している。ん? 不要と聞いたが…  現地の人たちはチップには慣れているしそれが当たり前なのだろうか?  渡さなくても外国人だから何とも思われないかな!?!?  渡す?渡さない? 降車する建物が近づいて来る。葛藤 (そんな大げさなもんか?)。

 

 結局 渡した。金額は覚えていないが。あ~、やっばりエエかっこしぃやな。

 

第164話 プエルト・リコ

サン・フアンと似たような ポート・オブ・スペインの景色
(ホテルの窓から)

 

[1999年9月 プエルト・リコ、サン・フアン]

 

 ホテルの部屋の洪水のことなどすっかり忘れて、この日は、アメリカ領プエルト・リコサンファン経由テキサス州ダラスまで移動。ここで一泊して翌朝関西空港行きの便に乗る。

 

 プエルト・リコ、1年前にサッカーワールドカップ・フランス大会のテーマソング「The Cup of Life」を歌った リッキー・マーチン (Ricky Martin) 氏の出身地だ。この年 1999年には「Livin’ la Vida Loca」が世界中で大ヒット。郷ひろみさんも “あ~ちっち!”と歌っていた。

 

 この国/島は、面積が四国の半分ほどのカリブ海北東に位置する火山島だ。サンファンまでは小さな飛行機で飛ぶ。サンファン空港は、海岸近くにある為 のどかな緑の田園風景が目に入る。山、特に火山を思わせるようなものは視野にはない。島には1,000m級の山脈があるが、ここからは少し離れているようだ。アメリカの自治領の為 ここでアメリカ入国手続きを済ませる。ダラスまでは事実上国内便ということになる。国内便とはいえ、ダラスはまだ4,000kmほど先だ。大阪からベトナムまでと同じくらいだ。

 

第163話 溢れる水

トリニダード・トバゴの国旗とスティールパンの描かれた $20紙幣

 

[1999年9月 トリニダード・トバゴ  ポート・オブ・スペイン]

 

 仕事はまずまず順調に終わり、移動の日となった。同僚は朝早い便で先に米国へ戻って行った。ピーターは我々を別々に空港まで送ってくれた、つまり来た時と同様にまた2往復してくれたのだ。感謝。

 

 出発前トイレに行き水を流す。わぁ~ 洗浄水は止まることなく出てくるし排水が遅い! どうなってるんや! 水位は徐々に上がってくる。中にお荷物はなく、水だけなのだが焦る。

 

 部屋にあったタオルやバスローブなど全てを使ってバスルームの出口に敷き詰める。そして電話へダッシュ! トイレの水が溢れている、もうすぐ部屋に流れ出るかも知れない。フロントにそう言うと、すぐに行くから待っていてくれとのこと。しかし、しばらく経っても誰も来ない。

 

 タオルたちはまだ踏ん張っているが、彼らが力尽きるのも時間の問題だ。出発の時刻も刻一刻と迫ってくる。ピーターももうすぐ迎えに来てくれるだろう。もう待っている時間はない。自分はこの部屋から出て行くんだからどうでもエエわ。

 

 荷物を持って、フロントでチェックアウト。当然部屋のこと、電話をしたことを告げたが、後で見ておきますだと。のんびりしてるな。

 あの後 部屋はどうなったのか? 俺は知らない。

 

第162話 Hold it Down

マラカス・ベイ・ビーチ (トリニダード

 

[1999年9月 トリニダード・トバゴポート・オブ・スペイン]

 

 翌日の昼食、レストランで食事を注文する。詳しいことは忘れたが、ドレッシングだったかトッピングだったかをどうする/何にする?とピーターが聞くので xxx と答えた。何と答えたのかも覚えていないが、技術屋の同僚も同じ返事だった。すると、ピーターが そうではなくて △△△ と聞いたんだと言う。同僚と○○○と聞こえたよな!? と言って顔を見合わせて笑った。同じように聞き間違えるほど訛りがきつい。

 

 仕事が終わり夕食。久しぶりに同僚と二人で飲みたいと思い、接待は遠慮した。日本にいる頃は毎週のように飲みに行っていた。一旦ホテルへ戻り、レストランのありそうな所へ出て行こうとすると、ホテル前で客待ちをしているタクシーの運転手が声をかけてきた。やはり訛りは強い。その上気だるそうな喋り方をする男だ。

 

 “どこへ行くんだ? 乗って行くか?”“レストランへ行くつもりだけど当てはない。歩きながら適当に探すわ” そんな会話をしながら最後に運転手が何か言ったが分からない。何度か聞き返すと ホールディッドーン(のように聞こえた)。彼がゆっくりと、Hold it downと言ってくれたが、意味が分からない。こんな時に使うよと説明されて、あぁ Take it easy (= 気楽に行こうぜ、無理するなよ、じゃあまた...) のようなものか?と言うと、それそれ! と笑いながら親指を突き上げた。暗闇に三人の白い歯が浮かんでいただろう。

 

 こちらの方言だ。それ以来、この同僚とのメールや電話の最後は Hold it down になっている。電話の時はもちろんトリニダードの発音で(笑)。

 

第161話 オクラって英語やったん!?

ハンバーガーショップにて (ポート・オブ・スペイン)

 

[1999年9月 トリニダード・トバゴポート・オブ・スペイン]

 

 一旦ホテルにチェックインし、少し時間つぶしに島の北側にあるマラカス・ベイ・ビーチ (Maracas bay beach)へ連れて行ってもらった。眼前にカリブ海が広がる風光明媚な海岸だ。同国の切手の図案にもなっている。

 

 時間つぶしというのは、数時間後に米国ジョージア州アトランタから技術屋の同僚が到着するので再度空港へ迎えに行かなければならないのだ。彼は、ベネズエラ出身、日本の本社で一緒に仕事をしていたのだが、数年前からアトランタへ出向している。今回は、技術屋さんも一緒に来てほしいとのピーターの要請で彼を呼ぶことにした。

 

 少しお腹が空いたので、ハンバーガーショップへ行く。メニューにOkra Burgerというのがある。これはどんなもの?と尋ねると、okraを知らないの?と言って女性店員が奥から調理前のオクラを持って来た。えっ okraってオクラのこと? トリニダード・トバゴ公用語は英語だ。オクラって英語やったん? 知らんかった。ピーターも女性店員も大笑いだ。ここの英語は訛りがきついので、オクロゥと言っているように聞こえた。もっとも英国や米国の発音も知らなかったのだが。

 

 同僚と空港で合流し代理店へ向かう。彼と会うのも2-3年ぶりか。元気そうだ。

 

第160話 トリニダード・トバゴ

ティール・パンは彼らの誇り、お札にも描かれている

 

[1999年9月 トリニダード・トバゴ

 

 朝から嫌な思いをして、飛行機に乗り込む。初めてのプロペラ機だ。ポート・オブ・スペインまでは直線距離で600kmくらいだが2時間近くかかる。眼下には青いカリブ海が広がっている。天気がいいので揺れることもなく快適な空の旅だ。

 

 トリニダード・トバゴトリニダード島とトバゴ島の二つの島と属領からなる共和国である。首都のポート・オブ・スペイントリニダード島にあり、ベネズエラの東に位置する。この島は、近い所でベネズエラ(南米大陸)からわずか5kmほどしか離れていない。スティールパン(スティールドラム)の故郷であり、毎年開催される世界三大カーニバルの一つ“ジュヴェ (J’ouvert)” でもスティールパンコンテストがある。人口は100万人強だが、陸上競技短距離走では世界トップクラスの選手も輩出しており、1976年のモントリオール・オリンピックでは金メダリストも誕生している。

 

 高度が下がり陸地が見えてくるが、しばらくは広大な湿地帯の上を延々と飛び続ける。カローニ鳥獣保護区だ。ここを過ぎるとピアーコ (Piarco)国際空港に到着する。

 

 小さな空港だ。南国らしい作りの出口から出るとピーター (Peter)が待っていてくれた。久しぶりの再会だ。トリニダードで会うのは初めてだが、ベネズエラまで来てくれたことがある。が、彼はベネズエラが嫌いなのだ。海を隔てた隣国ではあるが、隣であるだけに越境漁業がよく問題になるらしい。ベネズエラ側がトリーニダード側の漁業海域へよく入って来るのだそうだ。

 日本と中国、ロシア、韓国などと同じだ。どこでも同じ問題があるんやな。